前置きなしで大須「通りシリーズ」第3弾。
今回は大須観音通り。


大須観音通りは第1弾でご覧いただいた仁王門通のひとすじ北側にあり、文字どおり大須観音の境内から東へ向かって延びている。


仁王門通同様、東端は本町通までの全長が短い商店街だ。
ちなみに本町通から東側は、後日登場する万松寺通りとなる。

では、前回同様に西端から東に向かって歩いて行こう。
いきなり真っ赤な文字が鮮烈な「昔の矢場とん」が登場。


赤味噌文化の名古屋で、矢場とんは昭和22年創業の味噌カツの老舗だが、「昔の矢場とん」は名物の味噌カツがなく、串モノや味噌おでんなど、創業当時のメニューに回帰している。

西端周辺は、屋台サイズの小さな店が並ぶ感じ。
タイ焼き、から揚げ・・・こじんまりとしているが盛況のようだ。


水曜日のアリス」は女性に人気のアクセサリーの店。
ここだけ”何とかランド”のアトラクションのような雰囲気だ。


今風の店があれば、昔ながらの下町風情が残るところもある。



最近できたわらび餅の店にやってきた。
ここが東西の中間地点。
東端に向かって、こじんまりした店舗が続く。


あっ!という間に東端まで来てしまった。


メインストリートは短いが、この通りにも路地が南北から何本か接続しているので、そちらを紹介しよう。

一度大須観音に戻り、天井の横断幕どおり、矢印を北に曲がると・・・


おっ、出ました大須演芸場
消えてなくなりそうな苦境を乗り越えてきた、東海地区で唯一の寄席。
この日は閉館だったけど、興行日はさぞかし賑やかなんだろう。


次は大須演芸場より1本東側、先に紹介したわらび餅店があったところで交差する路地。
ここにも横断幕があるが、まずは北(写真左)側に行こう。


アーケードを出たのに、行く手に日影が・・・


なんと、こんなところに出た。


大須っていろんなものがあるけど、古墳まであるとは・・・

那古野山古墳(なごややまこふん、なごのやまこふん)

「大須古墳群」の内の一つで5世紀中〜後半に造営されたと考えられている。
元は南面する前方後円墳であったが、江戸時代に禅寺・清寿院の後園が造営される際に、前方部は取り壊された。
清寿院に取り込まれて「浪越山」と呼ばれたのが現在では後円部とされる部分で、直径22メートル、高さ3メートル。

明治5年(1872年)に清寿院は廃され、明治12年(1879年)に愛知県下初の公園(浪越公園)として開放された。
明治43年(1910年)に鶴舞公園が開園すると浪越公園は廃止されたが、大正3年(1914年)に規模を大幅に縮小して、名古屋市設置の那古野山公園となった。
その後、公園は再整備され2022年2月に那古野山古墳公園に改められた。

Wikipedia改



北側で古墳の見た後は、南側に行ってみよう。
わらび餅店の隣にお社が見える。
富士浅間神社だ。

富士浅間神社は、1495年(室町時代)に後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の勅を奉じ、駿河本宮富士浅間神社の神主小林修理が勧請、鎮座して以降、尾張徳川家代々の子安安産祈願所となったとのこと。
そして、その境内には朱塗りの鳥居があり、まねき猫ならぬまねき稲荷が鎮座している。

格子戸があって参拝できなかったが、狛犬ならぬ狛キツネさん、確かに右手(前足)を挙げて招いていらっしゃる(驚!)


大須には大きな招き猫がいるが、キツネまで登場して招くのだから、まさに商売繁盛、千客万来だ。

ということで、大須観音通りと、接続する路地も含めて紹介してきた。
それでは今回はここまで。
次回のお通りもお楽しみに。adios!