コロナ対策でプライベート企画も自粛中の50+。
早期再開を信じ、日夜自主トレに励んでいる(1/3はウソ)わけですが、たまたま(これはホント)Kさんの自主トレ日と重なったので、一緒に走ってきました。
6時半に合流して出発。
そういえば、木曽川方面のM(N)くんたちは5時集合らしいけど、この季節は早い時間の行動が正解だね。
この後、おっさん達は真夏の太陽の波状攻撃を浴びるのでした・・・
途中経過はすっ飛ばし、サクッと7時過ぎに名古屋港到着。
いつもの珈琲屋さんに到着すると・・・あれれぇ休業日?
とりあえず写真だけ撮って移動しようと思ったら「7時半開店」の張り紙が。開店までガーデンふ頭を散策することに。
ガーデンふ頭の入口で出迎えるは、南極観測船ふじ。
オレンジの船体、50+01ってナンバーもいいねぇ(笑)
ふじ (砕氷艦)
ふじ(JMSDF AGB FUJI class)は、日本の文部省の二代目南極観測船であり、日本では初となる極地用の本格的な砕氷艦として建造された。自衛艦としては初のヘリコプター搭載艦でもある。
海上自衛隊艦番号AGB-5001。1965年(昭和40年)3月18日に進水、7月15日に竣工。同年から南極観測船としての役割を海上保安庁の宗谷より引継ぎ、1983年(昭和58年)4月まで海上自衛隊により運用され南極地域観測隊輸送に従事した。
1984年4月11日退役。退役の後は南極観測に関する博物館として名古屋港ガーデンふ頭に係留され1985年8月から一般公開されている。船内の食堂・居室・診療所・理髪店などを蝋人形で再現し、それを通路から窓越しに見学できるようになっている。後継艦は「しらせ」(初代)。
艦名は日本の最高峰である富士山に由来し、同名の艦艇としては大日本帝国海軍のスループ「富士山」および戦艦「富士」に次いで3代目となる。
砕氷船として、一般の船舶に比べて横幅が広いのが特徴である。
連続砕氷可能な氷の厚さは80~120cm、最大砕氷能力は6m。貨物の積み下ろし用に艦前部に2基、後部に2基のクレーンを有している。
艦後部にはヘリコプター格納庫及びヘリコプター甲板となっており、偵察及び輸送用にS-61A-1を2機、氷状調査用にベル47G2Aを1機搭載している。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
@NAGOYAは名古屋城にもあったけど、ランドマーク的にはあった方がいいのかしら?
賛否両論あると思うけど、たしかに写真映えはするね・・・
さて、開店時間に合わせて珈琲屋さんに戻り、いつものモーニングを注文。
ここは安くてウマイんだ。
帰路は中川運河沿いに北上。
松重閘門を経由してEG squareへ。
松重閘門
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松重閘門(まつしげこうもん)とは、愛知県名古屋市中川区でかつて供用されていた閘門である。
1968年に閉鎖され、現在は閘門としては使用されていない。
堀川と中川運河とを結び、近代期の名古屋の産業発展を水運面で支えていた遺構である。大正期に名古屋市都市計画事業の一環として、自然河川「中川」の川幅を拡張する形での中川運河整備が計画された際、並行する堀川との連絡を図る必要性があげられたことにその誕生の端を発する。
両者を接続するにあたり、堀川と中川運河では堀川の水位が約1m高いため、パナマ運河と同様の閘門による水位調節を行う事となり、1930年(昭和5年)に建設を開始、1932年(昭和7年)から供用が開始された。
運用開始時には「東洋一の大運河」「東洋のパナマ運河」として名古屋名物の1つとなったという。
水上交通が輸送の主役を担っていた時代は松重閘門を利用する船も多かったとされるが、その後自動車輸送に物流の中心が移行すると閘門の必要性も減少し、1968年(昭和43年)に閉鎖、1976年(昭和51年)に公用廃止となった。
尖塔は閘門の使用停止後には取り壊される予定だったが、保存を求める住民運動などもあり存続した。
1986年(昭和61年)には名古屋市の有形文化財、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
真昼の炎天下地獄に陥る前にEG squareに帰投。
開店まで1時間半もあるから、店主には会わず、休憩して帰ろうということに。
いつもは人通りの多い通りも、猛暑を予感させる今朝はこんな感じ。
自宅との往復走行距離は36キロ、たくさん走ったってわけではないけど、いい自主トレになりました。
(やっぱりこの季節の日中のポタは自殺行為かな?)
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