この春、丸の内から大須へ転勤した。
大須といえば、まずはここ・・・
ということで挨拶に行ってきた。


大須観音(おおすかんのん)
愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山の寺院。
山号は北野山。本尊は聖観音。寺号は北野山真福寺宝生院である。
宗教法人としての公称は「宝生院」(ほうしょういん)だが、一般には「大須観音」の名で知られる。
日本三大観音の1つともいわれる観音霊場。なごや七福神の一である布袋像を安置する。
寺内に『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。

そもそもは建久年間(1190年 – 1199年)に建立された尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった中島観音が発祥であるという。
戦国時代には、織田信長により寺領500石が寄進されている。
慶長17年(1612年)、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって宝生院は本尊や真福寺文庫と共に大須郷から現在地に移転する。

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で2度目の焼失。
戦後の1949年(昭和24年)に仮の本堂と仁王門が建てられ、大須の人達や関係者から大須のシンボルである大須観音の早期の正式な本堂の再建が期待されたが、資金難で再建が大幅に遅れる。
1970年(昭和45年)に鉄筋コンクリートで再建されたが、五重塔などの再建は現在に至るまで立ち消えた状態である。

戦前まで大須観音以上に大須で大いに栄えて賑わっていた寺は、七堂伽藍で有名であった七寺であった。大須観音も七寺も空襲で焼失するが、戦後、七寺の七堂伽藍は再建の期待はあったものの再建されることはなく、現在では大須観音が栄え、大須のシンボル的な寺院となっている。

Wikipedia 改


早速入場しよう。
ご挨拶はやはり正面から。


仁王門通沿いの仁王門から入場。
大須は商店と住宅が密集する地域なので、建物だけを撮るのは至難の業。
背景に建物やらハトやら猫やら酔っ払いやらたくさん出てくるが、これぞ大須の雰囲気を味わえる大切なファクターと心得えられたい。

と、ハードルを大いに下げたところで



境内に入り、周りを見渡すとこんな感じ。
マンション、ビル・・・


よし、工夫して建物だけを撮ろう!と頑張り・・・


さて、今はハナモモが美しい時期。
先日は護国神社前の源平桃をレポートしたが、こちらは満開の様子を見ることができた。


これぞ源平咲き。紅白の共演が見事だ。


では、改めて本堂『大悲殿』へ参拝。



本堂のご本尊の写真は控え、外から1枚だけ。
(撮ってもいいのかな?)


聖観音(しょうかんのん)

正観音とも書き、六観音の一尊でもある。
観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)像には、さまざまな形態のものがあるが、このうち、多面多臂などの超人間的な姿ではない、1面2臂の像を指して聖観音と称している。
大慈の観音として、六観音の役割では餓鬼道を化益するという。
もともとは「正法明如来(しょうほうみょうにょらい)」という仏であったが、衆生の救済のため人間界に近い菩薩の身となった。
三昧耶形(さんまやぎょう=仏を表す象徴物)は初割蓮華(綻び始めたハスの花)。

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戦国の世、約400年前に徳川家康公によってこの地に移された大須観音。
以降、二度の焼失を経て今日も名古屋を見守っている。

ご本尊や仁王さまから「来るな!」とは言われなかったようなので、これからは縁日など諸行事の折に参拝したいと思う。


そして、観音様よりも数倍ディープなのはこの先、大須商店街。
いい写真が撮れたらご覧いただきたいと考えている。
それではまた。adios!